存在という虚像について

動物は、人間のように色を見えていない。犬は、紫と黄色は目に映るが、赤をグレーにしか見えない。猫も、青と黄色と緑しか見えないと言われている。つまり、実際、物に「色」という属性なんて存在せずに、光の反射が網膜に映った時に起きる現象でしかない。光と網膜の相互作用であり、実際は存在しない概念であった。「色」というのは虚像であり、人間の共同幻想とも言えるのではないかと思った。

本当は何もないところに何かあるかのようにわれわれの意識が妄想し出したものーーそれが経験的世界の一切の物事のあり方の真相。(唯識思想ーー『意識と本質』)

中世インドの哲学者シャンカラも同じようなことを言っていた。

物事が、「存在」のあるがままの、真の姿ではなくて、実はそれらは絶対無分節であるものが、われわれ普通の人間の表層意識、「......の意識」を通して屈折し、歪んで現れた偽りの姿、虚妄の映像である。(『意識と本質』)

なぜそう見えるのか?

本当はないものなのに、あたかもあるかのように見えている。あるかのように見えるのは、われわれの経験的意識が、そこに名すなわち語が意味的に支持する「本質」を妄念して、それを一つのものとして立てるからである。(『意識と本質』)