虚無から美へ

ロラン・バルトミシェル・フーコーに影響を与えた詩人、ステファヌ・マラルメ井筒俊彦氏の『意識と本質』において彼を描写する文章が分かりやすかったので、記録。

語的意識の極北。凍てつく冷気の中で、コトバは空しい戦慄となって沈黙のうちに沈もうとし、親しげな眼差しの日常的事物はことごとく自らを無化して消滅する。虚無。一八六六年三月、カザリス宛の手紙でマラルメは、「仏教を知ることなしに、私は虚無に到達した」と書いている。そして、この底知れぬ深淵が私を絶望に曳きずりこむ、とも。

マラルメのこの万物無化の体験に、何か精神錯乱の一歩手前といったものがあり、狂気の匂いが漂っていることは事実だ。だが、虚無が彼の辿りついた最後の地点ではなかった。虚無の絶望の後に開ていくる世界があった。早くも同じ一八六六年の七月、同じカザリスに宛て、「虚無を見出した後で、僕は美を見出した。。……僕が今、どんな清澄の高みに踏みこんだか、君にはとても想像もできない」と彼は書く。虚無体験には、思いもかけず、新しい存在肯定へ向かっての窓が開いていたのだ。いかに非人間的な、奇怪な存在肯定で、それがあったにしても。

ポール・ヴェルレーヌが書いた評論集とマラルメ自身の詩集『イジチュールまたはエルベノンの狂気』も入手した。